ポール・セザンヌの命式を読む

前回は家庭を犠牲にしてまでも芸術を追求したゴーギャンでしたが、今回は様々な画家に影響を与えた近代絵画の父と呼ばれるセザンヌの命式を読んでいきたいと思います。

 

1839年1月19日土曜日午前1時生まれ

パッと見で独自路線を行く人だとわかります。日干は壬で印(金)と食傷(乙)が隣接しています。小山内式だと「余人を持って代え難い」存在になります。また、乙がポツンと月干にあるので、五行易で言えば独発と同じになり、乙は傷官でこれも独自の表現を持っている証です。でも、財が表にないので時流が読めません。というより興味が無いです。なので周りに認められるまで時間がかかります。んー、この命式を見ていると他人の命式だと思えません。五行の配合は違いますが、私の命式の組み合わせに近いところがあり親近感が湧きます。でもセザンヌみたいに莫大な資産は受け継いでないですが。

冬生まれの壬です。なので暖める火が欲しいところです。命式には官殺が多いですが、丑は湿った土であり水を剋する力が弱く、金が二つあって官印相生ということですが、官殺のほうが多いので普通の仕事は出来にくいです。若い頃は火が巡ってきて良い時期です。親友のゾラと出会い絵の道に進む決意をしています。しかし26歳から官殺である土の五行が巡ってきて、苦労が多い時期でなかなか評価されません。

30歳(戊辰の大運)で後に妻となるオルタンス・フィケと知り合い後に同棲しますが、厳格な父を恐れ彼女との関係を隠し続けます。父からの月200フランの仕送りで2人の生活を支えなければならず、経済的には苦しくなりました。これはどういうことかと言うと、戌は丁が入っており財の墓でもあります。大運の辰で戌を冲開して、丁が表に出てきて日干の壬と合するからです。でも、良く考えてみてください。少ないとはいえど親からの援助を30歳になっても受け続けています。その時点で同時期の他の芸術家よりはかなり恵まれていると言えます。

36歳で己巳が巡ってきて、少しづつ作品が評価されるようになりますが、本人的には経済的な困窮は続きます。それはそうです。創作をするにはお金がかかります。本人は絵しか描いてないのですから当然です。46歳から庚午が巡ってきます。庚は印で官殺からの剋を弱め、午は財で命式を暖めて五行のバランスが取れます。盲師派で見れば、日干を含めた湿の党派で年干の燥の土を制御する形でしょう。午は丑と‪相穿‬になります。そうなると湿の党派が弱まってまだまだ評価が上がらないとなります。

47歳(丙戌)に父が死去し莫大な遺産が手に入り経済的な不安が無くなりました。また、その年に結婚もしています。戌は財(丁)の入った箱で、本人にとっての金庫を表します。年は祖先や親の遺産になり、日干の壬と合するものですから、本人が欲しいものだからです。また、丙は偏財で一気にお金が現れるということにもなります。もともと戌は月支の丑と相刑で墓が開きかけていると解釈でき、その上日干から見れば空亡です。そうすれば、戌が巡ってくれば応期になります。

ここでセザンヌがなぜ近代絵画の父と言われるような傑作を生み出せたかわかります。要するに生活を気にせずに、絵に集中できる環境を手に入れることが大事だからです。ピカソもそうです。早いうちに名が売れれば、お金の心配が無くなりますから、ピカソは早く売れるためにマネジメントに徹したのでしょう。なので、結果的にあれだけの作品を生み出せたとも言えます。あ、ピカソもセザンヌと同じく日干は壬で月支に戌がありましたね。

56歳で辛未の大運に切り替わります。その年に初個展を開催しています。しかし、一部の人には評価されますが、批評家からの評判は芳しくありませんでした。金は印で通変の調和が続いて、独自路線を突っ走ります。未の官殺は戌と相刑で戌を壊して、少しづつ熱心なファンを増やしていきます。どちらにしても、印と官殺で内向きの作用となり、外と関わる気持ちにはなりません。なので黙々と絵を描き続けることになります。

61歳の時、パリで開かれた万国博覧会の企画展である「フランス美術100年展」に他の印象派の画家たちとともに出品し、これ以降セザンヌは様々な展覧会に積極的に作品を出品するようになりました。晩年も当時の評価は限定的ですが、若い才能のある芸術家に強い影響を与えています。この時期に多くの傑作を残し、壬申の大運の67歳で亡くなりました。印である金を剋する丙午の年でした。

 

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