ブラックの命式を読む

唐突ですが、五行易で見る場合芸術家や音楽家や占い師の用神は子孫になります。ただし、それは能力を見る場合で、事業的に成功するかを見れば官鬼や妻財を見ていきます。さて今回の命式はキュビズムの創始者の一人(もう一人はパブロ・ピカソ)であるジョルジュ・ブラックになります。

 

1882年5月13日21:00生まれ

セザンヌの多視点のアイデアを基盤にしながら、ピカソとはキュビズムを共同開発したわけですが、実は命式が似ています。セザンヌも日干は壬です。

ブラックは水(比劫)の勢いで火(財)を制御するというタイプです。火は強いですから、金や水の五行が巡ってくれば発展します。また、一点のみ正印の金と傷官の卯がありますから、伝統のある芸術(最初に厳しいトレーニングを積む必要があるため)には向いています。

27歳から戊申が巡ってきます。ちょうどこの年から、ピカソと共同制作入ります。キュビズム的絵画を発表して大反響を巻き起こします。その後32歳まで共同制作が進んで、互いに刺激し合いキュビズムを進化させていきます。

 

しかし、第一次世界大戦が勃発しブラックが出征してしまいます。ここで長らく続いたピカソとの共同作業は途絶えてしまいます。1915年(32歳・乙卯)5月(巳月)のカレンシーでの戦いで頭部に重傷を負い、一時的に失明してしまいます。頭蓋骨に穴があき、絵画制作を中断し長い療養期間を必要することになりました。

この時期の大運の申は良いのですが、戊は乾いた土であり七殺(偏官)で壬が冲剋されます。乙卯年は盲師派では火を生じないまでも、日支の子とは‪相破になり不利で、寅卯はちょうど空亡の年になります。巳月は丙で一つしかない辛(印)を剋しながら合してしまいます。また時柱は頭や五官を表し火は目の意味があります。普通に生活していればそこまで酷い事にはならなかったとは思いますが、戦場という特殊な状態だったので悪影響を強く受けてしまったのでしょう。

34歳の時ようやく制作を開始し、36歳の時に個展を開きますが、その頃から大戦以前と画風が変化します。キュビズムを生かした静物画や室内画に傾倒し、温かみのある色遣いに転じます。その後は、装飾的な画風を確立。晩年は「鳥」を主題とした絵画や版画作品を制作し、ジュエリーのデザインも手がけて多彩な才能を発揮しています。

この安定した流れは、大運の影響でしょう。37歳からも延々と金の五行が巡り続けます。47歳まで己が現れていますが、湿った土なので水を剋する力は弱いです。67歳から水の五行が巡りってこれも良い五行で、安定して創作し続けることができたのでしょう。長寿にも恵まれ81歳で亡くなりフランスで国葬まで行われました。

 

 

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