前回は近代絵画の父と呼ばれるセザンヌでしたが、今回は比較的現代のアンディ・ウォーホルの命式を見ていきたいと思います。あの横尾忠則氏にも多大な影響を与えた革新的なポップアートの先駆者です。
1928年8月6日午前6時30分生まれ
未月生まれの山です。土が旺じる季節なので、甲木(官殺)の疏土が必要です。甲を育てる水(財)も必要となります。小山内式で見ても官殺しか隣接していないので、水の五行が来れば発展します。しかし、地支が寅卯辰の木の方局、卯と未の半局で木(官殺)最強となり木がかなり強く体調面が不安です。実際、幼少期は体が弱く日光アレルギーだったそうです。
日干の周辺に食傷(出力・表現)や印(入力・学習)や偏官(忍耐力)があれば、芸術家に向いていると判断できますが、命式を見ても偏官しかありません。印は寅と未、食傷は辰に蔵干として隠れていますので、表面的には作家性や伝統的な美術そのものの否定に繋がったのでしょう。要するにオリジナリティを放棄するのがオリジナリティということです。代表作のキャンベルスープのシルクスクリーンも同様でしょう。
21歳から壬戌の大運に入り、財が巡ってきて官殺と財の通変の調和が来ます。また戌は年支の辰を冲して墓を開けます。中に入った癸が出てきて日干と合して、好きなものが手に入りやすいです。大学卒業後に数々の雑誌の広告やイラストの仕事をして有名になります。1952年(24歳・壬辰)には新聞広告美術の部門で「アート・ディレクターズ・クラブ賞」を受賞し、商業デザイナー・イラストレーターとして成功しました。
31歳から癸亥の大運です。これも財の癸が外に現れます。亥も水の五行であり通変の調和です。1960年 (32歳・庚子)に、イラストレーションの世界で成功していたにも関わらず、その地位を捨てファインアートの世界へ入ります。亥は卯と未が三合になり、木が強すぎて責任の重い忙しい仕事は嫌になったのでしょう。
1964年(36歳・甲辰)からはニューヨークにファクトリーと呼ばれるスタジオを構え、アート・ワーカー(芸術労働者)を雇い、工場で大量生産するかのように作品を制作しました。ファクトリーはミック・ジャガーなど様々なミュージシャンやモデルや作家などの集まる社交場になります。
年柱は戊であり本人とも取れます。辰が年支にありますから、本人の場所とも見れます。辰は土の墓であり、自分と同じ五行が入るということで、これはファクトリーの情報でしょう。また、癸(財)も入っていますので、それでお金が入ってきます。
しかし、40歳(戊申)の時にファクトリーの常連に銃撃されます。一時重体となりますが一命をとりとめます。ウォーホルの戊寅で、年支に戊が現れて本人で申は寅を冲剋するからです。申と寅の冲は一般的には交通事故などが起きやすくなります。
41歳から甲子の大運に入ります。初めて官殺が天干に現れて、子は未(木の墓)と相穿で壊されて名誉運が上がります。40代から50代にかけては社交界から依頼を受け、ポートレイトのシルクスクリーンプリントを多数制作します。42歳(庚戌)には「ライフ」誌によってビートルズとともに「1960年代にもっとも影響力のあった人物」として選ばれます。44歳(壬子)の時、ニクソンの訪中にあわせて毛沢東のポートレイトを制作し、それ以降は世界中で個展を開催して絶頂期です。
51歳から乙丑の大運に入ります。丑は未を冲して官殺が墓から出続けて名誉運は安泰です。しかし、木は日干を剋する五行で丑土も凍土で日干の助けにはなりません。しかも長い間巡ってきていますから、健康面を害しやすくなります。58歳(丁卯)の時、胆嚢手術を受けますが、容態が急変し心臓発作で亡くなってしまいます。生涯独身だったそうです。これは日支の寅が本人にとっては嫌な五行だったからでしょう。
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