ゴーギャンの命式を読む

前回は炎(丙)の画家ゴッホでしたが、今回はゴッホと親しかったこともあるゴーギャンの命式を見ていきたいと思います。

 

1848年6月7日10:00生まれ

日干は己で大地です。天干は全部土であり、年干と月干は山で壮大な土の連なる広い壮大な景色です。なので、スケールの大きい表現が得意です。が、季節は夏であり己は乾燥してしまいますので水が欲しいです。画風はしっとりとしたマチエール(絵肌)が特徴で、なんとも言えない神秘性があります。これは湿土や水を連想させます。

幼い頃から未が巡ってきて上手くいきません。なぜなら、未は命式の巳と午と共に火の方局になり、己をもっと乾燥させて良くありません。実際は13歳の時にパリの海軍予備校に入学しようとするが試験に失敗しました。その後商船の水先人見習いとなり世界中の海を巡り、1868年に兵役でフランス海軍に入隊し1870年まで2年間勤めることになりました。これも水を欲していたから出た事象だったのでしょう。

年支に申があります。申は財である水の水源になり良いもので助けになります。申は乾いた土の戊と午に囲まれて制御されています。なので、金の五行が巡ってくれば良くなります。また、己は身強気味ですから、金に洩らされれば五行のバランスが取れます。金は食傷で表現系にも適していますし、事業家の素養もあります。

20歳から金が巡ってきて良い時期です。23歳の時にパリ証券取引所での職を得て、株式仲買人として働くようになります。その後11年間にわたり実業家として成功し、1879年(己卯・31歳)には株式仲買人として3万フランの年収を得るとともに、絵画取引でも同程度の収入を得ていました。また、1873年(癸酉・25歳)には結婚して子供にも恵まれます。癸は財で酉は日支の卯を冲して応期になったのでしょう。

しかし、1882年の34歳の時にパリの株式市場が大暴落し、絵画取引市場も縮小してしまいます。翌年、画家になることを決意しますが、生活が困窮してきて様々な職を転々とします。30歳から辛酉の大運で、申は蔵干に壬が含まれてますが酉は含まれてないです。

日支の卯は自分の居場所、家庭の意味になります。強ければ大丈夫ですが、もともと弱くて月支の午と相破となり土台が崩されます。また卯は官殺で名誉運にもなるので、画家として食っていくためには名が売れないといけませんが、中々苦労します。これは芸術家を志すならしょうがないことでしょう。

40歳から壬戌の大運です。この年にゴッホと知り合い共同生活をしますがすぐに破綻します。翌年にゴーギャンの芸術にとって重要なタヒチ滞在が始まります。タヒチの二度の滞在時にの文化や風土にインスピレーションを受けて絵画や彫刻の制作に集中します。実際、ゴーギャンの傑作の多くはこの時期に生まれています。しかし、タヒチは医療が整っておらず健康状態が徐々に悪化していきます。

以降は数々のお金のトラブルや夫婦関係の破綻、最愛の娘の死(49歳丁酉)などに見舞われますが、本人的には好きなことができた時期です。なぜなら、娘の死がなければ畢生の傑作である『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』が生まれなかったからです。

50歳から癸亥の大運です。癸は良いのですが、亥が良くありません。なぜなら、亥と優れた表現者の証である傷官を‪相穿‬(六害)で壊してしまい芸術家として活動出来なくなる暗示だからです。53歳からタヒチからより医療環境が劣悪なマルキーズ諸島に住み始めて、病気が悪化し55歳で亡くなりました。

 

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