ただただ占いに従う人生

占い(五行易)を本格的に学び出してから12年ぐらいですが、

 

現在まで、人生のほとんどの事柄を占いで決めてきました。

 

普段の買い物から重要な選択肢までほぼ何でもです。

私の五行易の使い方をダン・ケネディ風に説明する

正気の沙汰じゃないとは自分でもわかっています。

 

でも失敗するとか、不満足な結果になるとほぼわかっているのに、むりやり選択しても大体ろくな結果にならないのです。

 

人間は本能的に自分自身の快楽を求めるものです。

 

未来の事は快楽に直結することですから、どうなるか知りたがるのは当然だと思います。

デメリットになるようなことは選択したくないですよね。

 

例えば、何か高額な商品がほしいとか、株をやって儲けたい、何かを学んでみたい、この人と結婚したらどうなるか、この仕事についたらどうなるか、病気はいつ治るか、子供の進路はどうなるのか、とかいろいろ知りたいことは多いでしょう。

 

ですが、そういう重要な岐路に立たされたときに占うのは、スタンダードな占いの使い方だと思いますが、私の場合は尋常な数ではありません。

自分で自分の運命を占えるのも関係していると思いますが、私はあらゆることを占います。

 

ちょっと出かけたいと思ったら占うし、何か日用品の新しいものを買おうとしたときにも占うし、ちょっと体調が悪いとき(頭痛、寝つきが悪いとか)にも占うし、ヴィパッサナー瞑想を行うときも有利な方角を占うし、猫の食欲が無いときとかにも占うし、一日の運ももちろん占います。

はたから見ると大変そうに見えますが、

 

 

そうです、大変です(汗)

 

 

今はだいぶ慣れましたけどね。

 

それで、そこまで大量に占うと何がわかってくるかというと、運命はガチガチに決まっているということです。

まあ、100%ではないですが、90%ぐらいは当たりますね。

 

 

そうなると、ほぼ占いのことを信頼せざるを得なくなります。

占いにそこまでの信頼感が出てくると、言うことを聞かざるを得なくなって来ます。

 

当然、自分が好ましくない選択でも従わなくてはならなくなります。

結構、長いこと学んできたことや、仕事などに対してもダメだと出た場合は辞めるなどのキツイ選択もしなければいけないこともありました。

 

そんな中で芽生えてきた考えがあります。

 

 

それは、無理なことはスッパリ諦める いうことです。

 

 

私は以前不思議研究所で六爻占術を学んでいました。

学びだしてからは、あらゆる時間と情熱を注ぎ込み、六爻占術が中心の生活をしていました。

 

王虎応(トラさん)の教え自体は素晴らしいものがありましたが、不思議研究所のユーザー軽視のやり方に疑問を持ち、ある日五行易(六爻占術)で占ってみたのです。

 

問いは「不思議研究所で六爻占術を学び続けてよいか?」でした。

 

すると、 もう辞めたほうが良い と出ました。

 

※ちなみにテキストだけは買い続けて良いとの結果でした

なんという矛盾でしょうか、六爻占術で六爻占術を学ぶのを辞めた方が良と出たのです。

私は驚愕しました、なんて容赦の無い結果だと。

不思議研究所がキッカケで六爻占術(五行易、断易)を知って、学びはじめたにも関わらずです。

 

六爻占術をもうやるなと言われたからには、それは運命だと諦めるほかありません。

そこには私の自我(エゴ)が入る余地がありません。

占いの結果を信じなければ、占いをやる資格が無いですから。

 

私の場合、自分で占った結果はほとんど自分の希望、願望とは違う結果がでます(かなり小さな事柄でも大量に占っているので)。

これは、自我(エゴ)を満たす結果がほぼ出ないということです。

 

そこで自分自身が試されるのです。

コインを6回振ったり、断易占いアプリで出した結果を信じるか、自我(エゴ)から生じた自分の願望を信じるかです。

 

よくよく考えればこれは凄いことです。

コインを振ったり、アプリをタップすることは完全にランダムです。

自分のこれまで培ってきた占い以外の経験、常識、考え方をすべて捨てて、占いに身を委ねるのです。

 

これではただの 占いの奴隷 と思われる方もいるでしょうが、逆に考えてみてください。

何かが欲しい、何かになりたい、何々やってほしいなどの願望は全部自我が作りだしたものです。

もともと人間は 自我の奴隷 なわけですから、偶然性の塊である占い(卜占)に従うことにより自我から解放されるわけです。

 

何も考えなくても自分が知りたいと思ったら、うまくいくか、失敗するか、は占えばすぐわかります。

とりあえずうまくいくほうを選んでいけば良いのですから、こんなに楽な生き方はありません。

確実に自我の欲望は減り、余計な悩みや苦しみが無くなっていくのです。

 

これは五行易の考え方でもそうです。

以前、六親五類(りくしんごるい)のことを書いた↓と思いますが、占いを六親五類に分けると子孫(しそん)になります。

お金と自営業者と六親五類

官鬼(かんき)は悩みであり、子孫は官鬼を剋する(抑える、コントロールする)ことによって、悩みを減らすことができるのです。

 

これは仏教でいう 抜苦与楽(ばっくよらく)ですね。

仏や菩薩が衆生の 苦しみを抜き、楽を与える という意味ですが、もともと占いにはそのような性質があるということです。

 

まあ、ブッダは占いを否定していますけどね・・

 

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3件のコメント

  1. アオです。

    仏陀のお弟子さんの目蓮さん このお名前漢字は 易の卦からきているように思えますが どうなんでしょぅね?

    昔 なにかの本か忘れましたが 若い頃お釈迦さんは 易学をますたーされたと読みました。

    1. 仏教は深く学んだことがないので、詳しいことはあまりよくわかりません(汗)
      お釈迦さんは紀元前4世紀頃に活躍されたと言われています。
      その頃、周易は存在していたと思いますので、学んでいても不思議ではないですね。

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