オディロン・ルドンの命式を読む

前回の生命的な画風のマティスとは打って変わり、今回は夢と無意識の画家ルドンの命式を見ていきたいと思います。

 

1840年4月20日午前10時生まれ

日干は己です。辰月は春の終わりで湿った土なので良いのですが、金が多く辰が子と半局になり水が非常に強くなって己が流されそうなり弱いです。なので、木と火が欲しい五行です。でも、子が天乙貴人、辰が紅艶と華蓋、酉が文昌と学童と桃花と将星、巳が学士で、芸術家にとっては良い神殺が多いです。なので、天賦の才を秘めています。

また、盲師派で見れば、湿った土、金、水が党派を成して時支の巳を制御する形です。しかし巳が酉と半局になり弱すぎるので、これも木と火の五行が来れば発展します。印を制御するので頭の良い人物でしょう。巳は空亡なので、発展するには実業が向きません。目に見えないものを追求する仕事が向いています。

ルドンは子供のころから虚弱体質で、それが原因で里子に出されて孤独な生活を送っています。本格的に絵を始めたのは15歳の時です。しかし、父親に反対されて建築家を目指しますが大学の入試に失敗。それから画家を目指しますが、間に戦争などがあり中々画業に集中できず1878年(38歳)まで、世間的な認知はありませんでした。

幼少期から火が巡ってきますが、同時に金と水が巡ってきて作用が弱いです。また画家を目指すのであれば、すぐに成功できるわけではありません。なので、若い頃に良い五行が巡ってきても、タイミングが悪いということになります。また、時柱にあるので晩年を表し、成功するには時間がかかります。

 

・35歳から甲申の大運
1879年(39歳・己卯)、初の石版画集『夢のなかで』を刊行。職業画家としてキャリアのスタートを始めます。またこの年に妻と出会い、翌年の1880年(40歳・庚辰)結婚しています。これ以降、石版画集や単独絵画作品を数多く手がけ、グラフィック画家として生活するようになりました。1884年(44歳・甲申)の小説『さかしま』でルドンの絵が取り上げられ、認知度を高めていきます。

ここでやっと正官である甲が巡ってきます。初の石版画集を刊行したのは卯の年で木の五行で有利です。日支は酉で自分が持っているものや考えで、卯に冲されれば月支の辰の合が解かれて、外に出てきます。また日支は夫妻宮です。卯年は酉を冲して月支の辰の合を解きます。なのでこの年に知り合いました。翌年は辰で財(水)の墓です。大運の申、年支の子、月支の辰がそろって財の三合局になり結婚したのでしょう。

 

・45歳から乙酉の大運
1890年(50歳・庚寅)から、極彩色のパステル画と油彩を好むようになります。1900年(60歳・庚子)以降はモノトーンを基調とした暗い「ノワール」を制作しなくなり、その頃から若手から注目を集めるようになります。

乙は庚と合します。普通は庚と合すれば金化すると言われますが、この場合には金化というより、乙が庚を合して金の影響を減らすと見たほうが良いです。また乙は偏官で自己流を貫くという意味もありますし、木は火を強めて良い五行なので新しい表現を始めたのでしょう。

 

・55歳から丙戌の大運
1899年(59歳・己亥)にロベール男爵から、ブルゴーニュのドムシー・シュール・レ・ヴォルト城のダイニングルームに飾るための装飾絵画を17枚注文されます。1900年から1901年にかけて制作したドムシー城のために制作する作品は、最も先鋭的な構成の絵画作品となり、装飾絵画から抽象絵画へ移行するポイントとなりました。1903年(63歳・癸卯)にはレジオンドヌール勲章賞を受賞します。

丙は偏印です。やっと巳の蔵干である丙が表に出てきました。偏印の時期は感受性や霊感も高まりますので、独特の表現に拍車がかかります。また戌は月支の辰と相冲して日支の酉との合を解き、戌は酉と‪相穿‬して自分が変わる意味になります。(酉は強いので‪相穿‬がきても破壊されない)。非常に変化に富んだ充実した時期だったのではないでしょうか。

 

・65歳から丁亥の大運
1913年(73歳・癸丑)に美術評論家アンドレ・メレリオが編集したエッチングとリトグラフの作品集の出版でさらに増しました。同年、ルドンはニューヨーク、シカゴ、ボストンを巡回展示する国際近代美術展で画期的な作家として、最も大きな一室が与えられました。

丁は火の五行で良い時期です。丁は正印で名誉の意味あって人気が高まります。またこの頃の作品も傑作が多いです。

 

・75歳から戊子の大運
1916年(丙辰・76歳)7月6日、パリの自宅で肺炎で亡くなりました。

75歳からルドンの芸術の魂である火の五行が消えてしまいます。なので、寿命だったと考えられます。

 

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