前回はクラシック界の帝王カラヤンでしたが、今回は同時代を生きた名指揮者のチェリビダッケを見て行きたいと思います。おすすめはモーツァルトとシューベルト以外になります。何故かというと、良くも悪くもチェリビダッケは自分の世界観に曲を合わせるタイプであり、少しでもいじったら崩れるような曲は苦手だからです。でもブルックナーやDGのスキタイ組曲やロシア、フランス系の曲を聴けば衝撃を受ける事間違いないです。
1912年7月11日13時30分生まれ
日干が戊でスケールの大きい表現が得意で、土が多くてある種の宗教性を帯びます。丁火(文化)が正印で土は恒常性で古いものを表し、クラシックなどの伝統的なコツコツと勉強する素質があります。丁は自分自身とも捉える事ができます。隣の壬(偏財)と干合してそれでお金を稼ぎます。しかし官殺がないので我慢できない性格であり自分勝手になりやすいです。また、食傷もないので作曲家には向いていません。
特徴的なのは日支の並びです。子未子未と同じ地支の繰り返しです。盲派では子と未は相穿(六害)でよくありません。互いに破壊し合うという関係で、地支は自らの地盤ですから人生が安定しません。実際、ルーマニア出身で若い頃にパリやドイツに留学し、その後もヨーロッパの各地を転々としています。
若い頃から金の五行が巡って48歳まで続きます。日干には印が隣接していますので、小山内式で見るば食傷が巡ってくると通変の調和が巡ってきます。となると、自分自身の表現を追求する時期です。ちょうど33歳の庚戌の大運の切り替えで、ベルリンフィルの暫定指揮者に選ばれています。ちょうどその年は乙酉年で未の中に入った官殺(乙)が表に出てきます。
金の最後の大運の時、41歳ベルリン市の「音楽芸術賞」、42歳には功労十字大勲章を、43歳にはドイツ批評家協会賞を受賞しています。しかし42歳でベルリンフィルと衝突し、それ以来38年後までベルリンフィルとは演奏していません。何故なら辛は陰なので庚より力が弱くなるからです。それ以降はイタリアやスウェーデンなどのヨーロッパ各地の楽団を客演指揮者として転々としています。
これらの原因を考えると、49歳からは子の大運、59歳からは丑の大運で、官殺の入った未を壊し続けるのですが、未は二つあって木の五行も巡ってこないので中々仕事が安定しません。やっと、67歳で独自の活動が認められて正式にミュンヘンフィルへ迎え入れられます。その年は己未年で官殺の入ったそのものであり、未は相穿で強い子を制御して邪魔なものを排除したからでしょう。
69歳から甲寅の大運が巡ってきます。木は官殺なので、小山内式に見ると財と官殺の調和が巡ってきます。そうなれば社会的に広く認められる時期です。実際、数々の名演で人々を感動させますが、木の五行の影響で印の火も息を吹き返すので、80代の晩年まで文化面や教育面でも多大なる影響力を発揮しました。