応爻も大事だよ。ただし・・

・・自分の利益になる場合に限る(笑)

 

何だか、少し前の記事から雰囲気が変わったとお思いでしょうが、違います。

元々、私はこんな人です。

ただ、素を出すようになっただけのことです。

短気で、酷い毒舌で、性格は結構歪んでいます。

だからこそ、何とか変えようと思って、いろいろやってきました。

ですが、

 

 

全てムダでした。

 

 

※まあ、引っ越したりして風水が変われば、性格もある程度変わりますけどね

 

ええ、完全に品行方正な占い師としては適正がありませんね。

なので、合わないと思ったらこのブログは見ないで下さい。

多分、気分が悪くなるだけだと思います。

 

ところで適正なんか誰が決めたのでしょうか?

 

自分はこんなスキルがあるので、こんな職業に適正がある・・

自分はこんな性格なので、こんな相手と相性が合う・・

自分は社会の役に立ちたいから・・

自分の生きがいは・・

自分は、自分は、自分は・・

 

 

 

で、その自分というものはどこにあるんだ?

 

 

 

では、応爻の話をします。

応爻は他人、他の場所、相対する人や場所、お客さん、妻、夫などの意味があります。

卦に世爻を配置すれば、応爻は必ず配置されます。

世爻は自分自身という意味ですが、占う内容によって変化します。

例えば、自分の所属している会社やグループを占えば、世爻は会社やグループ全体を表します。

自分の病気を占えば、自分自身の肉体を表します。

 

世爻に配置される六親も占った内容によってコロコロ変わります。

例えば、病気になった場合に官鬼があれば、官鬼には病気の意味がありますから、自分自身に病気があることを表します。

また、官鬼には男性の意味がありますので、現在彼氏や夫がいることを表したりします。

金運のことを占えば、世爻に妻財があれば、お金持っている状態やお金自体に興味があることも表します。

外出を占った場合、世爻に父母があれば、父母は乗り物の意味がありますから、車や電車などを使って出かけることを表します。

要するに、世爻はただの容器であり、固定されたものでは無いということがあります。

 

応爻もそうです。

世爻と同じで決まった存在ではありません。

応爻も運気の入れ物なので、占う内容によってコロコロと表情を変えます。

 

例えば、外出する場合には目的地を表します。

世爻を剋する五行であれば、確実に不利な外出になります。

反対に原神であれば、有利な外出なります。

 

あまり知らない人のことを占う場合には、応爻が用神です。

応爻は他人の意味があるからです。

 

ギャンブルの占いでは、ライバル、カジノなどを表します。

応爻に妻財があれば、相手がお金を持っているor持っていく、お金がある場所などの意味になります。

ギャンブルの場合には勝負事の占いなので、世爻と応爻の強さも見なければなりません。

世爻が応爻より弱ければ、ギャンブルに負けることを表します。

もちろん、それだけでは判断すると外れます。

妻財の強さも加味しなければなりません。

 

結婚を占う場合には、応爻は相手の気持ち、結婚に対する姿勢、相手の家族の状態、気持ちを表します。

男性が占った場合、結婚相手は妻財になりますが、応爻が兄弟だった場合には、妻財を剋する五行(忌神)なりますので、相手は結婚までしたくないと思っているとか相手の家族が反対しているとかなどの意味になります。

つまり、応爻が妻財を剋することで妻財を弱める→妻になりたくない、妻にならせたくないということです。

 

最初に「応爻は大事だけれど、自分に利益がある場合に限る」と言ったのは、そういうことです。

わざわざ応爻が不利な要素だとわかっているのに、無理してその選択をするバカはいません。

でも、占った時は不利かもしれませんが、時間が経てば変わるかもしれません。

だって、応爻はただの容器ですから、中身(六親)が変わる可能性があります。

 

所詮応爻は応爻です。

 

自分ではありません。

他人(応爻)にこだわっても、自分がバカを見るだけです。

 

 

 

『いい時に付き合い、悪い時には離れる』これが応爻と上手に付き合う方法です。

 

 

 

だって、自分(世爻)も他人(応爻)もただの入れ物ですから。

どうせ変わっていくのです。

そんなもんにこだわり過ぎても意味ないです。

 

・・でもですね。

宿命だったら避けれません。

その時は覚悟を決めて、応爻と対峙するしかないです。

4件のコメント

  1. 応爻は入れ物。世爻も。
    もしかして、六親五類も入れ物?
    ただただエネルギーの流れだけがあって
    入れ物(=役割・形)を変えて漂っているだけなのか。
    エネルギー保存の法則に照らせば
    亡くなった存在も決して失われることなく在って、
    互いに引き合えば違う形でまた出会う気がする。
    過労で死んだ母の面影をどこかに探しながら
    地震であっけなく死んだ父は
    形を変えて母に会いに行ったのだと
    何かの拍子に気づいたことがある。妄想かな。
    もしかしたら、この世さえもただの入れ物か。

  2. 2010年か2011年に年運か何かの卦を出したら世爻が木の三合局に剋される卦が出て(詳細は忘れました)
    当時、色々追い込まれて、と言うより自ら追い込んでいて「これは自殺でもするのかなあ」と思っていたのですが、そんなこと忘れていた2012年の3月(卯月)に、「月末までに死のう」と決めて準備などしていざ怖がらないようにと死んだ自分を思い描きながら寝る等していたら、ある日訳も分からず解放感と至福に包まれてしまって、自分の状態をググったら目覚めとか見性とかいわれてるものみたいでした。
    で、それ自体は結構あることみたいなのでどうでもいいんですが、大黒天さんの
    “世爻は自分自身の肉体及び私が私であるという自意識”
    という言葉を見て確かに三合局にズタボロにやられたのは一般的に”自分”だと思い込んでいる自意識の方だなと納得しました。
    世界から”ここからここまでは自分”だと勝手に切り取った部分を世爻としているならば、三合局に剋された”自意識”から解放されて数年は頭お花畑みたいに幸せ全開だったのは敵味方に別れて殺し合いをしている五行からもそれで構成される卦からも抜け出てたのだろうと思います。
    もりけん氏がチベットの高僧はいつも世爻が空亡だったというのと同じかもしれません。
    ちょっと何書いてるか分からなくなってきましたが大黒天さんのコメント読んで色々結びついたので書いてしまいました。失礼しました。

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