おはようございます。
五行易系自己啓発作家の大黒天です。
ええ、ふざけてます。
ふざけて何が悪いんでしょうか?
この世界がこんなにふざけているのに。
まあ、それでも渋々生きていかなきゃいけないのですが。
あ、この世がイヤだという方は、ぜひ『はたらく細胞』というアニメを見て下さい。
生きていくために自分の肉体が日々、どれだけ戦っているかわかるので。
そして、この世から戦争が無くならない理由もわかります。
飼い猫がこの世から居なくなってから、何か書かないとやってられなくなってきました。
前回のブログなんか、最初は罵詈雑言を書いてしまって、かなり柔らかい文章に修正しましたよ。
そんなことはどうでもいいですが、今回は何度も占い過ぎることのデメリットについて書いていきたいと思います。
これは、同じ問いであまり間を空けずに占った場合ですので、注意して下さい。
・一回目に占う場合は、吉凶を中心に表します。
※大体は一回目だけで占うのは充分です。
・二回目も吉凶をある程度表しますが、一回目で説明し切れなかった情報を表しやすいです。
※占い事の過程とか、状況の変化とか、一回目の内容の補完的な役割です。
・三回目ぐらいから、用神を無視して表現しやすいです。
※例えば、用神とは違う六親が独発して応期のみを表すとか、心配事があれば子孫を強くしたり、わざわざ発動させて「心配ないよ」と表します。
子孫=安心、官鬼=不安
・四回目以降はもうグダグダなので、あまり判断する価値はないです。
もう必要な情報はすでに卦が伝えているからです。
※何度も占っている今の状況とか、自分が混乱している情報を表すということです。
しばらく経って占う場合には、再び用神を中心に判断します。
易神ってのがいるのですよね?
タロットの霊ってのがいるのと同じか。
占うたびに卦の内容がそんな風に変わるのは
まるで易神が卦を通して会話しているかのようです。
私は何度も同じことを何度もついつい占ってしまう性質です。
確かに三回目には何が何だか分かんないことになってます。
タロット占いがメインなんですけどね。
こういう卜占系は同じようなことが当てはまるのですね。
いわゆる易神と言われているものは、ユングの言う集合的無意識のことだと思っています。
タロットの霊も「集合的無意識、つまり元型だ」と
師匠から教わりました。
卜占系は情報の出所が同じなのでしょうね。
タロットの図柄は新約聖書やキリスト教の神話や
ヘレニズム神話などからから題材を拾っているのに対して
易は大洪水以前の先史文明の思想と旧約聖書から題材を拾っているとも
教わった記憶があります。
つまり易経をまとめた伏義はノアで
基本八卦は箱舟に乗っていた人達の特徴で
十二支はイスラエル十二部族の象徴で
六十四卦の卦辞は旧約聖書やシュメール神話の故事からとられていて
旧約聖書の預言者のネタ本が易だったとか。
もしそうなら、旧約新約を貫き導いていた神=ヤハウェ
が易神かつタロットの霊でそれこそが集合的無意識の中の
心全体を統括しているセルフ元型なのか!!!
ってな感じで思考が暴走してしまいます。ははは
昔、『聖書と易学」という本で、そのような仮説は読んだことがあります。
いろいろ想像して、古代に想いを馳せるのは楽しいですよね。