オキーフの命式を読む

今回はアメリカモダニズムの母と呼ばれる画家、ジョージア・オキーフの命式を見ていきたいと思います。

 

1887年11月15日6時30分生まれ

日干は甲です。冬生まれの樹木ということで寒いです。卯に通根して根があるので、生きた樹木になります。なので、火が欲しいです。天干に丁があって助けにはなりますので悪くないです。問題は亥です。水が多くて木が浮遊しています。日支も金になり不利です。根を張る土が最も欲しい五行になります。小山内式で見ても官殺が隣接していますから、土の五行が来れば発展しやすいです。

18歳から癸丑の大運です。1905年(18歳・乙巳)にシカゴ美術大学で本格的に美術を学んだあと、アート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークへ進みますが、自然にあるものをそのまま模写する伝統的な美術教育に不満を感じ始めます。

学費不足を賄うため1908年(21歳・戊申)から商業作家として2年ほど働きます。その後1911年(24歳)から1918年(31歳)までヴァージニア州やテキサス州やサウスカロライナ州で教師をしてながら学費を稼ぎ、絵を学び続けます。

 

1912年(25歳)から1914年(27歳)の夏の期間に美術を学んでいる頃に、自然をそのまま模写するより個人的なスタイルを基盤として制作することを推奨していた画家のアーサー・ウェスレイ・ダウに出会い、芸術観に大きな変化をもたらし抽象的な作風へ移行していきます。

この時期は、癸は印で甲に隣接した食傷の丁と通変の調和が起きます。なので、創作性が増します。丁は傷官なので、伝統的な教育には反発してオリジナリティの追求を模索したのでしょう。

 

28歳から甲寅の大運です。画商で写真家のアルフレド・スティーグリッツと出会い、1924年(甲子・37歳)に結婚します。この頃からオキーフは《レッドカンナ》をはじめとする多くの花の抽象絵画シリーズを制作しはじめます。オキーフは花を描くことの意図について一貫して何も話していなかったが、一般的には女性器を象徴していると指摘されています。

寅は辛(正官)の地支である亥と合し申と亥の‪相穿(六害)‬を止め、日支の夫妻宮の申(偏官)を冲しますので、結婚したのでしょう。また、花のモチーフにしたのは、甲は本人自身であり、丁を生じて植物が花を咲かせる意味になったからだと思います。

 

 

 

38歳から乙卯の大運です。1929年(42歳・己巳)までニューヨークに住んでいましたが、スティーグリッツの不倫が原因で二人の仲に亀裂が生じると、オキーフは重度の鬱状態になり、活動を一時的に停止し、一年のうちの一時期をアメリカで南西部で過ごすことになります。

 

 

1934年(47歳・甲戌)重度の鬱状態から回復し、芸術活動を再開するとニューメキシコ州の風景や動物の骨にインスピレーションを受け、『牛の骨:赤、白、青』や『羊の頭』や『白タチアオイ』といった作品を制作し、批評家から高い評価を受けます。

乙卯は良くないです。なぜなら、蔵干の乙が申の蔵干の庚と暗合します。庚は夫の意味で、乙は自分と同性で夫が浮気する情報です。また、月支の亥も合が解かれて申を‪相穿‬して壊すからです。鬱状態になったのは、乙と卯は日干の羊刃だからです。もともと日干は強いので、強まれば五行のバランスが崩れます。南西は土(坤)の五行であり、自ら南西部に行ったことで回復の手助けになったのでしょう。

 

 

48歳から丙辰の大運です。1946年(59歳・丙戌)スティグリッツが死去すると、ニューヨークの人間関係から遠ざりたかった彼女は、ニューメキシコに完全に移り、アビクィウの荒野に自宅とアトリエを建てます。火が巡って良い大運ですが、丙は正官である辛を合去し夫に良くない運になります。

 

 

58歳から丁巳の大運です。62歳から1986年に亡くなるまでの約40年間を荒野に建つゴーストランチの家と緑豊かなアビキューの2つの家で過ごします。晩年は延々と好きな五行である土の五行が巡ってきて、落ち着いて創作に没頭します。長寿にも恵まれました。

 

 

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