フリーダ・カーロの命式を読む

今回はあのマドンナも大好きなメキシコの画家フリーダ・カーロの命式を見ていきます。かなり劇的で過酷な人生なのですが、その過酷さがなければ素晴らしい作品群を生み出せなかったパターンの画家です。なんでしょうかね芸術って。

 

1907年7月6日8:30生まれ

日干は丙です。午月生まれで火が旺盛で水が欲しいです。幸い時干に壬(官殺)があり助けになるものです。水の水源である金も欲しいですが、命式にはありません。なので金が来れば発展します。しかし、幼少期は羊刃である丁が巡って火が強くなりすぎます。また未の蔵干にも丁は入っており、あまり良くありません。

6歳(癸丑年)の頃に急性灰白髄炎にかかり、およそ9か月にわたって寝たきりの生活を送りました。この影響で右腿から踝にかけて成長が止まって痩せ細ってしまいます。月柱は足の意味があり、丑年は未を冲して未を刺激して丁を表に出します。また、丑は月支の午と‪相穿‬の関係になり、月支は生育環境を表しますから成長に打撃を受けます。同時に丑は空亡の年で不利な作用が出たのでしょう。

11歳から戊申の大運です。本人の好きな金の五行が巡ってきて学業に励み優秀な成績でした。しかし18歳の時(1925年9月17日)、通学に使用していたバスが路面電車と衝突し、多数の死傷者が出る事故が発生し、生死の境をさまよう重傷を負います。3か月の間ベッドの上での生活を余儀なくされ、その後も事故の後遺症で背中や右足の痛みにたびたび悩まされるようになりました。

この時期は大運は悪くないのですが、命式の組み合わせが良くありません。もともと日支が辰で月支の午が血刃になります。これは血にまつわることで、事故や怪我に注意しなければなりません。その上羊刃もあります。この年は6歳のころと同じで、流年に乙丑が巡ってきます。これらのことが組み合わさって不利な出来事が起きたのでしょう。しかし、この入院がきっかけとなり本格的な絵を描くようになりました。

21歳から己酉の大運です。22歳(己巳)の時、21歳年上の画家のリベラと結婚します。酉は時干の壬(官殺)を生じて日支の辰と合します。また時支にも辰があり同じ志を持った人になります。己は食傷で女命なら子供が出来やすくなることですが、事故の影響で骨盤や子宮に損傷を受けていたことから、23歳(庚午)、25歳(壬申)、27歳(甲戌)と流産してしまいます。

翌年の28歳(乙亥)の時、夫であるリベラが妹のクリスティナと関係を持ったことにショックを受け、別居してしまいます。これはもともと命式で、夫を表す壬と時干にある丁が干合になっています。丁は自分と同性の兄弟ということで、引っ張られて夫と妹は関係を持ってしまったのでしょう。

この時期は非常にショックな出来事が続きますが、その出来事をバネに創作活動は捗ります。31歳(戊寅)から庚戌の大運が巡ってきます。これは本人の好きな五行である庚(偏財)が表に出てきて、辰は傷官で本人の表現するものとなり、戌は辰(戊癸乙)を冲して、蔵干が外に出てくるということで、周りに認められる時期です。また、小山内式で見ても官殺(水)が隣接していますから、財(金)との通変の調和をもたらします。

ちょうどその年に最初の大規模な個展を海外で催すことになります。これが評判を呼んで、再びニューヨークで個展を開き名声が高まっていきます。しかし、それがきっかけとなり、次第に夫婦間の熱は冷めていき、32歳(己卯)の時にリベラとの離婚が成立し、生家である「青い家」へと戻ります。庚戌の大運は戌が日支の辰を冲して、夫の場所が安定しなくなることです。また、卯年は辰とは‪相穿‬で悪影響があります。

その後は孤独を忘れようとフリーダは作品制作に没頭し、経済的にも自立しようと努めます。しかし、33歳(庚辰)の時に再び脊椎の痛みと右手が急性真菌性皮膚疾患にかかったため、作品制作が続けられなくなりサンフランシスコで治療をします。健康状態が安定した頃に元夫であるリベラへ再婚の提案を行い、サンフランシスコで二人は2度目の結婚をしました。これは日支の辰が巡ってきて、大運の戌の冲がキャンセルされたのが原因でしょう。

それ以降はメキシコ内においてもフリーダの名は知られるようになり、様々な賞を受賞し、複数の委員会委員に選出され、講師の委嘱や雑誌の寄稿などを求められるようになります。35歳(壬午)にはメキシコ文化センターの会員に選出され、絵画と造形の専門学校「ラ・エスメラルダ」の教員にも選ばれます。しかし、成功とは裏腹に40歳以降になるとフリーダの健康状態はさらに悪化し、入退院を繰り返すようになります。

41歳(戊子)から辛亥の大運が巡ってきます。43歳(庚寅)には右足の血液の循環が不足して指先が壊死したため切断手術を行います。入院中のベッドの上に特製の画架を取り付け、寝たままで制作したりしています。44歳(辛卯)以降は痛みのため鎮痛剤無しでは生活がままならなくなり、特徴であった緻密なテクニックを駆使した作品を作り上げる事も難しくなります。

46歳(癸巳)には右足の痛みが鎮痛剤では耐えられないほどになったため、膝までの切断をする手術をします。以後、義足を使用することにより歩くことができるようになりましたが、ふさぎこむ事が多くなってきます。

1954年(47歳・甲午)2月の日記に「6か月前、脚を切断され、一世紀にもおよぶと感じられるほどの長く、耐えがたい苦痛に見舞われて、私は時々正気を失った。いまだに自殺したくなる時がある。ディエゴだけがそんな私を思いとどまらせてくれる。なぜなら、私がいなくなれば、彼がさびしがるだろうと思うから。」と書かれています。

712日、ディエゴ・リベラに早めの結婚記念日のプレゼントをします。「もうすぐさよならを言うことになる気がするから」と告げたその夜の眠りが、彼女の永遠の眠りとなりました。数日前の日記の文章は「退場が喜びに満ちたものであるように。そして、願わくは二度と戻ることがなきように」と書いてありました。

辛亥の大運は運気は悪くないです。なので名声は上がるのですが、健康面では若いころに病気と事故を受けた影響が後々に響いたと思います。辛と亥は金と水が同時にきて官殺が強くなり、病気を悪化させる原因とも取れます。また、辛は丙と合して、亥の蔵干は壬で丁と合して、丙丁共に本人自体に病気がくっついて離れない→悪化するとも考えられます。

 

 

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