エゴン・シーレの命式を読む

今回は世紀末のウィーンで活躍した夭折の天才のエゴン・シーレの命式を読んでいきたいと思います。

 

1890年6月12日6:00生まれ

真夏生まれの甲です。年干の寅に通根し水も強くて生きた木です。時干に傷官である丁が現れて木火通名的で非常に優秀です。また年干が偏官で負けん気が強いです。月干が偏印で記憶力が高く、宗教・哲学・芸術などにハマりやすいです。ただ土の五行がなく、旺盛な水を抑えることができないので、かなり情緒不安定でしょう。また午、子、卯とあり、盲師派でいうならば‪相穿‬(六害)の関係で、互いに破壊し合って組み合わせが良くないことになります。

癸未の大運
15歳(乙巳)のとき、最大の理解者であった父が病気で死去。それがきっかけとなり多くの絵を描いて、最初の自画像集をまとめています。1906年(丙午)弱冠16歳でウィーンの美術アカデミーに入学し、歴史・肖像画を学んでいます。17歳(丁未)でグスタフ・クリムトと出会い、強く影響を受けます。

癸未も大運は、日支の子を壊します。もともと子は卯と午に囲まれてかなり弱いです。日支は家庭ですから家族に打撃が起こったのでしょう。小山内式で見れば、印(水・学習)と食傷(火・表現)の調和ですでに独自の道を追求します。基本的には火が強くなる年に良い出来事が起きています。ちなみに師となるクリムトの命式は日干が己でシーレの甲と干合し、年支が戌でシーレが寅と午で火(食傷)の三合局になり、強く影響を受けたのでしょう。

 

 

甲申の大運
1909年(19歳・己酉)美術アカデミーの旧制度に反発して自主退学し、友人らと「新芸術家集団」を結成。権威あるミートケ画廊で最初の展覧会を開催します。しかし、その後は集団を離れ、尊敬するクリムトの装飾的で耽美な作風とは異なる独自の裸体画を模索します。大胆なボーズを取る裸体を、視覚を惑わす歪な線で描き、無防備でありながら緊張感をはらむ独自の表現主義的な画風を確立しました。
ヌード・モデルをめぐっては、たびたび誘拐やわいせつ罪で告訴され、1912年(22歳・壬子)に不道徳な作品を広めたとして、およそ1ヶ月拘留されます。

比肩の大運で、志を同じくする仲間が増え野心的になります。しかし、偏官は一匹狼の傾向がありますから、独自の表現を模索したのでしょう。ただ当時としては過激になりすぎました。大運の申と日支の子が半局になり水が強くなります。子は偏印であり、常識からかけ離れたことをやりやすくなってしまいます。逮捕された壬子年は偏印が強くなりすぎた為と思われます。

1915年(25歳・乙卯)エディット・ハルムスと結婚。その年に徴兵され戦場から戻ると、風景画なども意欲的に制作し多数の美術展に出品します。

命式には財が見当たりませんが、年支の寅に偏財である戊が隠れています。大運の申に冲されれば、寅の蔵干が出てくるとも考えられて、流年の乙は庚と干合して婚期とも見れます。でも、乙卯は甲の羊刃であり血刃でもあります。また、大運の申は駅馬で年支を冲するので、移動の意味になり徴兵されたとも考えられます。しかし、それがキッカケとなり新たな芸術性が開花します。

乙酉の大運
1918年(28歳・戊午)にクリムトが死去し、企画していた「第49回ウィーン分離派展」に実質的な後継者として参加。本展の展覧会ポスターを手がけ、展示では新作を50点以上発表して成功を収めますが、同年に妻がスペイン風邪で亡くなり、シーレ自身もその年に同じ病で亡くなってしまいます。28歳でした。

スペイン風邪ですから、これは突発的な流行ですから四柱推命には事象として見るのは難しいです。しかし、もともと月支の午は空亡です。食神が空亡だと寿命が短いとの説もあります。また、もともと身強気味ですから乙は羊刃の悪い面が出やすくなるとも考えられます。

 

 

 

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