ウィリアム・ブレイクの命式を読む

さて今回は私の好きな芸術家のトップ5に入るイギリスが誇る詩人・芸術家・預言者のウィリアム・ブレイクの命式を見ていきたいと思います。生前は全く評価されませんでしたが、後々のあらゆる文化層の人に影響を与えたイギリスロマン主義の先駆者です。

 

 

 

1757年11月28日19時45分生まれ

冬生まれの丙です。地支に水の方局が揃い官殺最強です。天干の丁も助けにならないので、大運での木と火の巡りを待ちます。が、実際ブレイク自体は70歳まで生きますが、大運で木と火が巡った時には社会的に全然評価されず、ずっと生活に困窮しています。実際の事象とは合わないので、他の見方もしなければなりません。

 

日支に偏官があり、気性が激しく他人の為に行動する人です。時干に食神が接して剋洩交加で、ハングリー精神旺盛です。丙と辛(正財)が干合して、月支は亥で水が強くて丙→壬、辛→癸に変化するとも考えられます。そうすれば、夫妻宮である日支と同じ五行になりますので、夫婦の縁は良いということになります。でも、水に変化したら身旺になりますから、これも土・火・木の五行が巡れば上手くいくことになりますが、それでも実際の事象には合いません。

 

そういう場合には小山内式の見方が一致する場合が多いです。財と官殺の隣接なので通変の調和がしやすいです。前半生は金が巡ってきて財と官殺の調和になりますので、比較的安定した時期だったのでしょう。しかし、37歳から丁未の大運に変わり何の調和もありません。57歳から木の五行が巡ってくるので、印と食傷の調和が来ます。なので独創性は増しますが、周りからは評価されづらくなります。

 

盲師派で見れば、湿と燥が拮抗していて制御しづらいです。でも丁が湿の五行に囲まれています。丁は文化の光であり、地支の丑は傷官で神秘、不思議の意味もあります。なので、それを追い求める人生になります。なので少し今までの芸術家とはタイプが違うかもしれません。あとは戌亥が揃っています。戌亥は乾で天の意味があり、神の意味もあります。まあ幻視者や預言者とも言われてますから。

 

中々周りには評価されない人生でしたが、唯一の救いは最大の理解者である妻です。丙は月干にある正財の辛と合していますので、良い妻に恵まれます。月支は亥で金が水に浮いてしまいますが、丑に通根しているので頼りになる妻です。生前のブレイクの崇拝者としても仕事のアシスタントとしても彼を支えたので、素晴らしい作品を生み出せたのかもしれません。

ここで、妻であるキャサリンの命式を見てみましょう。

1762年4月25日生まれ

ブレイクは丑年で、命式内に日支として現れています。丑には官殺の辛が入っていますので、これが夫のブレイクの意味でしょう。日干は乙で月支は甲で辰月で通根して、水の五行もあり強いです。乙は丙(ブレイク)を生じます。また日支の丑とブレイクの日支の子が合していて強い結びつきが感じられます。木と火の五行も強くて身弱のブレイクに取ってはありがたい五行になります。

 

 

ウィリアム・ブレイク年表

1757 11月28日、ロンドンの 28 Broad Street に誕生
1765 8歳 庚戌の大運 木の上に天使などを見るなど、神秘体験が始まる
1767 10歳 ストランドにあるドローイング・スクールに通い始める
1772 15歳 銅版画家のジェームズ・バシーアのもとに弟子入りする
1778 21歳 己酉の大運 開校したばかりのロイヤル・アカデミーに学ぶ
1779 22歳 銅版画家として、J・ジョンソンに雇われる
1781 24歳 将来の妻キャサリン・ブッチャーと出会う
1782 25歳 ロンドン南部バタシーの聖マリー教会で結婚。23 Green Street に入居
1787 30歳 戊申の大運 新しいレリーフ・エッチングの技術を使い、彩飾印刷を開始
1789 32歳 「無垢の歌」を発表
1790 33歳 「天国と地獄の結婚」を発表
1793 36歳 ロンドン南部ランべスの 13 Hercules Buildingsに引っ越し
1794 37歳 丁未の大運 「無垢と経験の歌」を発表
1797–9 40歳〜42歳 銅版画家としての仕事難に苦しむ
1800 43歳 英南部サセックスのフェルパム (現ウェスト・サセックス)に移住
1803 46歳 ロンドンに戻り、17 South Molton Street に入居
1804 47歳 丙午の大運 預言書「ミルトン」と「エルサレム」の制作開始
1808 51歳「最後の審判」の水彩画を完成
1809 52歳 実家の靴下屋の2階で水彩画の展覧会を開催。「不運な狂人」と週刊紙「ジ・エグザミナー」に評される
1821 64歳 乙巳の大運 最後の住まいとなる 3 Fountain Court に引っ越し
1825–6 68歳〜69歳 甲辰の大運 ダンテの「神曲」の挿絵の依頼を受ける
1827 70歳 8月12日、肝不全により死去

 

 

 

 

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