男は女性的な、女は男性的な

考えや性質を学ぶべきでしょ。多分。

 

でも、共感し過ぎて同調するのも良くありません。

なぜなら、

 

 

違いながら交わるからこそ価値があるからです。

 

 

皆さん、異性に自分の気持ちや考えをわかってもらうために必死になっていませんか?

必死になればなるほど、押し付けになるので相手は引きます(汗)

 

だからって、腫れ物に触るように尊重しすぎるのも良くないし、マウンティングするのも感心しませんね。

それだと、相手の言いなりか相手を一方的に押さえつけることでしょ?

その関係は主従関係ですよ。

 

巷では、男性側、女性側からの様々な考え、意見はネットに氾濫するようになりました。

まあ、私は一応男性ですから、ネットの女性側の意見は参考になることは多々あります。

ですが、あまり真剣には受けとらないようにしてます。

 

そりゃ、各自体験している状況が違うから正解は変化して当然という考えです。

男でも女でも関係ありません。

 

この世に訳も分からないまま存在してしまったという人間としての慟哭だと思っています。

 

五行易で占えば、ある時は火の五行、またある時は金の五行というように変化していきます。

変化するのを固定化したモノとして捉えるから、おかしくなるのです。

 

八卦の象意では男性原理は乾、女性原理は坤で表現されます。

64卦では、乾為天、坤為地です。

これは、星野源の「時よ」というミュージックビデオを観てもらえばわかりやすいです。

一見明るい前向きな歌ですが、実は「時」の残虐さを見事に表現した歌です。

MVでは駅のホームで男の車掌(星野源)と女の車掌が駅でシンクロしながらダンスをしています。

つまり、二人の車掌が運行を管理する側であり、

 

・男の車掌→陽、乾、男性原理

・女の車掌→陰、坤、女性原理

 

となります。

 

電車は一定方向にしか進まないので、「時」自体をを暗示しています。

 

・男女のダンス→陰陽の交わり

 

つまり、陰陽が動いて時を動かしていることです。

 

電車が「時」ならば乗客である私たちは人間を表しています。

 

歌詞の途中で出てくる赤子の表現→人生のはじまり→生で、最後の「バイバイ」という表現→人生の終わり→死を意味します。

 

うーん、これは映像と音楽で陰陽(乾坤)を見事に表現した例です。

しかも、シングル感も忘れていない。

星野源は只者では無いと思います。

甘い飴玉の中に真実という毒を仕込んでいるようなモノですね。

 

まあ、いくら星野源が明るく振舞っていたとしても、眼の色が暗く見えるのは私だけでしょうか?

これは決してdisっているわけではありません。

むしろアーティストとしては褒めています。

星野源は表現者ですから、一般人が思いもよらない視点でいつも考えたりしているのでしょう。

実際、壮絶な闘病生活から生還してますしね。

この世の深淵をあえて覗きこんでいるような視線というか。

私の好きな芸術家はみな取り憑かれたいるような暗い眼をしていますから(汗)

※ちなみに玄武には暗いという意味もありますし、知性、玄妙、深淵、隠されたこと などの意味もあります。

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